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友綱 良助(ともつな りょうすけ、1856年(安政3年) - 1887年(明治20年)6月21日)は、梅ヶ谷部屋に所属した元力士〔http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3476&l=j〕。他に、玉垣部屋と雷部屋に所属していた。 本名は山口 音吉〔。京都府京都市(旧山城国愛宕郡)出身。身長は不明、体重は93kg。小兵力士だった。 最高位は西前頭筆頭。 入門前に既に所帯を持っていたが、相撲好きが高じて入門した。1876年4月に初土俵(序ノ口)。1883年1月新十両(東二段目9枚目となり十両相当となった)。その場所は6勝4敗だったが、十両力士に休場者が相次いだ事により、翌場所(1883年5月)東十両筆頭に昇進〔。更にその翌場所の1884年1月場所で新入幕を果たした。幕内での成績は5割前後をキープし、番付運も良かった事があって、順調に昇進していった。しかし、気性が激しいという欠点を持っており、1886年5月場所6日目の大達羽左エ門(のち大関に昇進)との対戦では、立ち合いで大達の髷を掴んで引き回す行為を犯し、翌日の対戦の出場停止を言い渡された〔両者とも休場扱いとなった(明治19年夏場所(6日目の大達と友綱の星取りは共に「や」となっている) )〕。翌1887年になると体調不良となり、最終場所となった5月場所では4敗6分けで勝利を挙げる事が出来なかった。5月場所終了後の6月21日に死去。32歳の若さだった。 幕内通算 8場所 29勝26敗4預21休の成績を残した〔。 改名歴は1回ある:浜ノ音 良助 → 友綱 良助〔 == 出典 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「友綱良助 (明治)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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